タイプ: 論考

日付:2018/10/10

EBPMの前にすべきことがある 行政の無謬性をどう克服するか

土居丈朗
慶應義塾大学経済学部教授

社会保障改革を今後進めてゆく上でも、EBPM(Evidence-Based Policy Making:証拠に基づく政策立案)は重要だ。安倍晋三内閣が、今年6月15日に閣議決定した「骨太の方針2018」でも、歳出改革等に向けた取組の加速・拡大として、「各府省は、全ての歳出分野において行政事業レビューを徹底的に実施するとともに、EBPMを推進し、人材の確保・育成と必要なデータ収集等を通じて、予算の質の向上と効果検証に取り組む。」と明記した。

これまでのわが国における政策立案では、経験や前例が重視され、科学的な根拠のあるエビデンスは軽視されてきた。科学的根拠に基づき、政策目的にふさわしい政策手段が示されていても、担当部局にとって不都合ならば、その根拠を黙殺することさえあった。経験や前例を重視すると、既得権益が温存されがちで、改めるべきものも改められないことになる。

現政権では、EBPMを推進すべく、体制整備に着手した。内閣官房行政改革推進本部事務局に、EBPM推進委員会を設置し、EBPMを推進するための人材の確保・育成、EBPMに資する統計等データの整備や利活用などについて、着々と進めている。

 

EBPMの推進と費用便益分析の現状

しかし、今のままわが国でEBPM推進の体制整備を進めたところで、EBPMは形ばかりに終わる可能性がある。それは、わが国の中央省庁で導入した費用便益分析の現状からも想起される。

費用便益分析も、学術的に裏付けられた分析の枠組みを使えば、EBPMに資するものである。例えば、国土交通省は、「費用便益分析マニュアル」を作成し、公表している。そして、それに基づいて費用便益分析を行っている。

しかし、費用便益分析で費用便益比(B/C)を推計しても、B/Cの活用のされ方が恣意的になれば、B/Cというエビデンスは形ばかりに終わる。現に、整備新幹線でそうした事案が起きている。北陸新幹線の敦賀以西のルートを審議するに際し、2017年3月に国土交通省が「北陸新幹線京都・新大阪間のルートに係る調査について」を発表した。そこには、京都・新大阪間のルートで南回り(京田辺ルート・松井山手駅附近経由)では、B/Cが1.05と極めて低い値が示された。対案として出された北回りではB/Cが1.08と南回りよりも上回る値(それでも極めて低いことには変わりはない)が示されたにもかかわらず、最終的には与党は同月に南回りルートを採択することを決定した。

B/Cが1をわずかでも上回ってさえいれば科学的根拠がある、とはとても言えない。費用が将来的に予定以上にかかるリスクがあるから、公共事業の採否の決定において、他の先進国では1よりも大きく上回る閾値(4という国もある)を設けている。こうしたわが国の現状をみれば、数値のみを根拠として示すだけでは不十分で、科学的根拠をもって示した数値を、科学的根拠を持って判断するところまでできて初めて、EBPMといえる。

 

行政の無謬性へのこだわりをやめさせる

EBPMがわが国に定着しにくい固有の問題として、行政の無謬性がある。行政の無謬性へのこだわりは、わが国では特に強い。それは、行政の側も国民の側も双方ともである。行政の側は、各省庁で立案しいったん決定した法案や政策は正しいものであり、野党等からの批判は的を射ていないという態度をかたくなに守ろうとするところがある。他方、国民の側は、政府に間違いを許さない姿勢が強い。役所が過ちを犯すとすぐに「責任者出てこい」となる。

行政当局は間違わない、間違ってはいけない、という前提に立つと、EBPMは行政当局にとって不都合なものに成り下がる。確かに、行政当局もどう対応すればよいかわからず、結論ありきではなく虚心坦懐に事実を知り適切な政策を講じたいというスタンスで臨んでいれば、EBPMは機能する。

しかし、科学的根拠に基づき、過去の政策が失敗であったことや現在の既得権益者に不利になるような政策を講じることが国民全体にとって望ましいことなどが明らかにされれば、行政当局は前例や慣習を覆して政策転換をしなければならなくなる。EBPMでは、こうした政策転換は当然として行われるべきなのだが、関係当事者を説得して政策転換を進めるのは、行政当局の担当者である。既存政策の立案者は自らの上司かもしれないし、関係当事者はかたくなに政策転換を拒むかもしれない。その担当者が、こうした政策転換に積極的になれなければ、科学的根拠がいくら明白で頑健であっても、EBPMに基づく政策転換は実現しない。科学的根拠が「葵の御紋」となって、皆が当然のようにその前にひれ伏し服従する、などということはない。

こうした日本の行政の現状に鑑みれば、EBPMを推進する前に、行政の無謬性を取り払うことが必要だ。(頻繁なのは困るが)たまには行政も間違うこともある、という国民の認識が広く共有されれば、行政府も間違いを改めやすくなるだろう。間違いを認めないままごり押しされることが問題なのであって、間違いの責任者を吊るし上げにすることが主眼ではない。間違いがあれば早期に素直に改めてもらうことが大事だ。

行政全般で無謬性を取り払うことが難しければ、ひとまずEBPMを実施する政策分野だけは、無謬性を取り払い、行政に試行錯誤を国民が認めることにしてはどうか。EBPMの第1サイクルとして、前例にとらわれず科学的根拠に基づいて政策を立案、実行する。そして、その結果を科学的根拠をもって検証し、その成否を判断する。もし第1サイクルで実施した政策に不備があれば、その不備を当時の担当者の責とはせず、科学的根拠に基づいて政策を修正する。こうして、EBPMの第2サイクルに入る。このサイクルを繰り返していくことで、EBPMで適時適切な政策を講じることが可能となる。

EBPMを推進するためには、人材の確保・育成や統計データの整備は重要である。しかし、それだけでわが国にEBPMが定着するわけではない現状がある。わが国特有の状況として、EBPMを推進する前に行政の無謬性へのこだわりをやめさせることが必要だ。

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