連載コラム「税の交差点」第4回:財政再建に水を差すシムズ論

森信茂樹
東京財団上席研究員/税・社会保障調査会座長

今回は、今後のわが国の財政政策に大きな影響を及ぼす可能性のある、「シムズ論」を取り上げてみたい。「シムズ論」の詳細な内容と評価は、本調査会の論考(2017年2月13日)で、佐藤主光教授が取り上げておられ(「物価の財政理論(FTPL)と財政再建」)、また調査会メンバーの土居教授も、東洋経済オンラインに関連の小論を掲載しておられる(「安倍政権を賑わす「物価水準の財政理論」とは」)ので、そちらを参照願いたい。

筆者がここで取り上げるのは、いま、「シムズ論」がマスコミなどで取り上げられ議論されることの、わが国の現実の財政政策に与えるインプリケーションである。

まずは、リフレ派の理論的支柱で、政権の経済政策に大きな影響力を持つ浜田内閣官房参与が、自らの誤りを認めた発言を振り返ってみたい。

アベノミクス第1の矢は、異次元の金融緩和であった。しかし、「マネーを供給すれば、人々にインフレ期待が生じ、デフレから脱却できる」という考え方は、現実の物価上昇率が示すように、失敗している。

これを踏まえて浜田参与は、デフレは(通貨供給量の少なさに起因する)マネタリーな現象で、通貨供給量を増やせばインフレになる、という考え方が間違いだったことを認められた。(日経新聞2016年11月15日)

その一方で、「今後は減税も含めた財政の拡大が必要だ。」と発言し、消費税10%の引き上げへの反対論(再々延期)を主張され、その際の論拠として、「シムズ論」を引き合いに出している。(同上)

「シムズ論」は、米国プリンストン大学教授でノーベル経済学賞を受賞されたシムズ氏が唱えている考え方である。

物価水準の財政理論(FTPL=Fiscal Theory of the Price Level)」、つまり、「名目国債残高を物価水準で割ったものは、将来の財政黒字の累計値の現在価値に等しくなる」という恒等式に基づき、デフレを脱却するには、「政府が財政責任を放棄することによりインフレを起こす」ことが必要だ、という考え方である。

わかりやすく言うと、政府が、「財政再建を放棄します。インフレが起きますが、それは政府の債務返済を少なくするためです」と宣言することによって、国民の「インフレが起きる!」との「期待」を高め、結果国債の価値が暴落し、国の債務が減価する(借金が減る)ことになる、というものだ。

もっとも、「物価上昇率が2%に達すれば、段階的に消費税を引き上げていくことが合理的だ」とも発言しており、一時的な政策としての位置づけである。

この理論に対する筆者の疑問は以下のような点である。

第1に、シムズ論のもとになるFTPLは、ギリシャに生じたような国家のデフォルトを想定していない。いったん財政責任を放棄すると、国際的投機筋は国債を売り浴びせ、格好の投機の餌食になる。

国債の価値が暴落すれば、大量の国債を保有する金融機関は経営が困難になり貸し渋り、貸しはがしなど実体経済に大混乱が生じる。また国債を保有する個人は巨額の損失を被ることになる。

第2に、わが国がデフレ経済から脱却できない最大の理由は、社会保障に対する「将来不安」が消費を抑えているからである。シムズ論によって将来のインフレ期待を起こす前に、財源なきばらまきが、さらなる将来不安を引き起こす。

第3に、いったん財政責任を放棄した国家が、インフレ率2%を達成した時点で財政規律を取り戻す、と言ってもマーケットは果たしてそれを信じるだろうか。

このように大きな問題を抱える「シムズ論」だが、最大の懸念は、それをうまく利用しようという政権の思惑に合致することだ。

我が国財政政策の最大の課題は、2020年プライマリーバランス(PB)の黒字化という国際公約に向けて、2019年10月から予定されている消費税10%への引上げの可否だ。消費に大きな影響を及ぼす増税だけに、政権としては先延ばし、あるいは取りやめにしたいところである。

しかし、一方でPB黒字化公約をいまだ掲げている安倍政権としては、消費増税の再々延期は、国際的にも、マーケットに与える影響からしても、また、社会保障の充実を願う(一部)国民の反発を招くという意味でも、容易ではない。

このような状況化で、「シムズ論」が、渡りに船の論理となる可能性がある。

思い起こせば、消費再増税を引き延ばす決定を行った16年6月の決定の前にも、米国のノーベル賞経済学者の意見を聴取した。再び同じようなことが起きつつあるのだろうか。

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